日本歯科医学会について/ご挨拶
学会長ご挨拶 10・11月号

「先を観るということ」
コロナ禍で、私もオンライン会議やテレワークが多くなった。これを時間の余裕ができたと捉える方に向かうには、それがはじまってからかなりの時間を要した。せかせかと何かをしていなければ落ち着かない性分も少なからず影響してのことだったろう。ところが2年ほど前から、いわゆる動画配信サービスを利用するようになってからは、映画鑑賞にこの時間を費やすことにはまった。家内のすゝめもあってはじめは一緒に観ていたが、当然、好みが違うことから、いまは一人で楽しんでいる。私の選択傾向は、小さな映画館で上映されるような少々マニアックなものやイタリア、フランス、スペイン、英国などヨーロッパを舞台としたものだ。
そういえば、第24回日本歯科医学会学術大会の公開フォーラム「ダブルキャリアのすゝめ」でご出演いただいた歯科医師と小説家を職とする方のお話を思い出す。この方も映画鑑賞がお好きとうかがって、「映画の筋を小説の参考にされるのですか?」ときいたところ「映画が終わった後に、例えばこの主人公はどのような人生を送るのかなど、そこから自分の頭の中で想像をめぐらして小説にしていくこともある」とおっしゃった。まさに私も同じ。「END」や「FIN」で納得するものではなく、一種の余韻といおうか、これからどうなるのかを思い描く楽しみのある作品を選ぶことが多いのである。投稿評価では「終わりがすっきりしない」と書かれている作品が、むしろ自分の好みだとあらためてうなづけたものだ。最近は、1940年代の米国モノクロ映画もよく見る。私が生まれた頃のもので、きっと同じ世代の視聴者が多いことを狙っての配信と推察できるが、どれも実にしっかりと作り込まれた作品だと思う。
1981年にフィンランドで暮らしていた時に、二人の子どもを連れて「007シリーズ」最新作を観に行った。静かな北欧暮らしにやってきた久しぶりの大型娯楽映画だったからだ。ところが、映画館の入口で足止めされた。係員が一生懸命に説明してくれるがフィンランド語でさっぱりわからない。お互いに困っていると、やっと英語が話せる従業員がやってきて、「この映画は殺人の場面が頻繁に出る。子どもに見せるものではない。」はじめは驚いたが、強く納得できる理由なので、かえってすっきりした気分で映画館を後にした。一方で、家庭で見ているTV番組には全裸の人など平気で映っている国なのだ。40年以上前の話ではあっても、今も変わらない「子どもの教育」についての判断が問われている。
子どもといえば、最近「化石ハンター展」を見に行った。これは決して子ども向けではない。雄大な土地の岩や砂などから掘り出した大小の化石とそれの復元を中心に、彼らがどこからきてどのように生きどこへ去って行ったのかが推測できる。何しろ彼らが生きたその一瞬が、そのまま止まっているのだから。大人が時間をかけてゆっくり見て回り、自分のおかれている環境やこれからの子どもたちの未来などにゆっくりと思いをはせることができる素敵な展示だった。
コロナ禍で失ったのものはとても多い。高齢者は外出や交流の機会が減って、老化が進んだともいわれるし、若者もさまざまに影響を受けた。明日のことを正確に見通すことができず、先の見えない世の中になったようにも感じる。それがENDやFINで終わらない、明日がどうなるのかを希望をもって推測できる世の中であってほしいと心から願う。
実をいうと、私の映画鑑賞はパーフェクトではない。途中で寝ていると家内からよく指摘される。だから同じ映画を何度も観る羽目になるのは仕方ないとしても、観るたびにまた感想が違ってくるのも楽しみなことである。
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