日本歯科医学会について/ご挨拶
学会長ご挨拶 師走号

「3密富士研」の思い出とともに乗り越える
冬の寒さが厳しくなってくると気持ちが昂る12月恒例の催しがあった。冠雪した富士山のふもとで、1998年から2006年にかけて毎年経験した出来事である。そのために11月前半からOHPシート(‼)で資料作成などの準備をし、新幹線で三島駅に降りそこからバスで裾野市の開催会場まで行った。しばらくして、自宅からは車のほうが便利ではないかと考え、家内の協力を得た。この協力には、会場の近くに古民家風の蕎麦屋を見つけたことが大きく寄与している。
さてこの催しとは、歯科医師臨床研修の指導医(後に指導歯科医、プログラム責任者と変更)を対象にした教育技法習得のための研修会(ワークショップ)である。通称名は「富士研」。参加者は3泊4日、運営者は4泊5日の長丁場の研修会であった。人里離れた会場に缶詰め状態となり、早朝から夜遅くまで作業を重ねるという大変ハードなスケジュールのもとに行われた。何時しか「富士収容所」という自虐的ニックネームが付いたほどだったのである。私は最初タスクフォースの一員として運営に関わっていたが、何の風の吹きまわしか、第3回からディレクターを任されることになった。参加された方々は歯科医師臨床研修に関わる施設の代表者であり、卒業大学も専門分野も多岐にわたっていた。歯科医師臨床の必修化を目指すという大きな目的のために、運営側はもちろんのこと参加者もとことん話し合う、実にエネルギッシュな研修会となった。9回の研修会で合計343名の方々が参加されたのだ。
参加者の多くはすでに定年退職されているが、分科会の懇親会などでお会いすると当時の思い出話に花が咲く。わけても、さまざまな強者たちの武勇伝は、なんど語られても大いに盛り上がるのだ。惜しくも物故された方々の話題には、当時のさっそうとした姿が思い出され懐かしさがこみあげてくる。私はもちろんだが参加したみなさまの気持ちの中にも「富士研」が生きているのは望外のうれしさである。
さて、なぜ長々と昔話を持ち出しかというと、新型コロナウイルスの感染拡大によって、3密(密集、密接、密閉)状態を避けることから、ここで紹介した形式のワークショップは難しくなってきていると思うからである。しかし、新たな生活様式をめざさなければならない中、歯科に期待される役割は、以前にもまして大きくなっている。歯科界にいる者たちには、新たな目標を見つけて方策を模索し提案していくことで社会に寄与したい、という情熱が求められている。オンラインの活用など、いま考えうるさまざまな方策にチャレンジして、ぜひとも、新しい仲間や新しい価値観を生み出すような研修会を催して、困難に屈しない強い歯科医療が形成されることを目指してほしい。
「富士研」研修所に向かう道の両脇にそびえ立つメタセコイヤの並木は、今年も燃えるように紅葉していることだろう。すぐ近くの貯水池に映る早朝の赤富士も変わりなく見えているのだろう。あれから14年もの歳月がたったが、外の冷気、そして目標に向かうみんなの熱気、そんな集まりが新しい形で再び催されることを願って、ニューノーマルの時代を生き抜こうと決心する。 そして、多くのことを学ばせていただいた「富士研」同窓会メンバーの健康を願い、多難だった2020年の締めとする。
素晴らしい新年を!
令和 2年12月 1日
【バックナンバー】