日本歯科医学会について/ご挨拶
学会長ご挨拶 6・7月号

「こども食堂」と「医療の総合生活産業化」の二つの話題から見える未来
学会主催のシンポジウムと公開フォーラムが4月、5月と相次いで開催されました。どちらも素晴らしい内容で、私をはじめ多くの人たちが大いに触発されたと感じています。今回は、特に印象深かった2つの特別講演についてご紹介します。
5月28日に開催された日本歯科医学会重点研究委員会公開フォーラム「子どもの食を育む歯科からのアプローチ ~4年間の重点研究から見えてきた課題と展望~」では、特別講演に近藤博子氏をお招きしました。「気まぐれ八百屋だんだん」あるいは「こども食堂」という言葉を聞いたことがあるという方は多いと思いますが、近藤氏は、この「気まぐれ八百屋だんだん」(大田区)の店主をしておられます。そこで主宰されているこども食堂を中心にした地域サロンの取り組みのお話をしていただきました。中でも、100円食堂をワンコイン食堂にかえられたくだりでは、近藤氏の人となりならではの発想に心をつかれる思いでした。
私は常々、歯科は口に入れた食べ物を咀嚼し、続く消化器に送ることの維持・回復の支援に加えて、食べるという営みにおいて、歓びや幸せという感情面についてもわれわれ歯科医療従事者は積極的に関わっていきたいという想いを語ってきました。12対の脳神経が支配する領域には見る、聞く、嗅ぐ、食べるなどの機能を持つ器官が存在します。その中で口からは言葉として、ときに唄声として文化が発せられます。時には、言葉にならないため息も漏れ出るのが人の口といえるでしょう。一つため息をつくと幸せが一つ逃げるといいます。食べることの歓びと幸せの場に、楽しくお話ができる環境を加えて、ため息をつく暇を口に与えない、そういうひとときの積み重ねによって、人は豊かさを感じることができます。そこに歯科は積極的に関わることができる、そういう想いなのです。
家庭団欒の場が持てない家庭も多くある大田区で、八百屋を開業し、孤食で寂しい思いをしていた子どもたちに100円で食事を提供したところ、多くの子どもたち、さらには大人たちが集まりだして、おしゃべりはもちろん、勉強の面倒を見たりもする、さまざまなメニューが提供されるコミュニティーになったというお話は、メディアでも取り上げられて、大きな反響を呼びました。その100円だった料金を、いまはワンコインにしているとのこと。その理由に私は心を打たれたのです。子どもがお小遣いをねだっても一日100円あげられない家庭もあります。こども食堂で食事をして帰るときに、支払い箱にお金を払わなくても咎められるわけではないのですが、払っていけない子どもは、何か後ろめたさを感じ、小さくともそのプライドが傷ついている、そのことに気づいた近藤氏は、100円を基本として、50円でも、10円でも5円、1円でも1枚のコインで良しとしたのです。たとえ1円でも支払い箱に入れることで、子どもといえどもその責任を果たしたという気持ちになるのですね。この、額を強要しないワンコイン、ときにはオモチャのコインでも構わないよという、子どもの心の中に踏み込んだ発想には頭が下がります。近藤氏のお店が八百屋さんというところがまた実にぴったりですね。八百屋さんに食堂があるというアイディアにこれまた頭が下がります。八百屋さんは旬と新鮮がキーワードです。野菜だけでなく、地域の心の旬をとらえ、新鮮さを保つ努力を惜しまない、歯科衛生士でもあられる近藤氏の活動に大いに学ぶことができました。
4月23日に開催されたシンポジウムは「これからの日本に求められるアジア歯科医療協働 ―アジアがいま願うこと、われわれが今できること―」のタイトルのもと、特別講演に医療法人社団理事長の北原茂実氏をお招きしました。演題は「世界を救う新しい医療~北原グループの挑戦~」でした。挑戦の一つは「日本の医療を輸出産業に育てることに貢献する」であり、もう一つが現在、東京都八王子市で実践している、「医療とはいかに人が良く生き、よく死ぬか、その全てをプロヂュースする総合生活産業である」と定義した医療の総合生活産業化です。このような発想はいわゆる特区構想で出てきますが実行に移されているところは少ないと思います。北原先生は、病人を病室にとどめておくのはむしろ病気を進行させることになると語られます。もちろん病気の種類や状態によるでしょうが、確かに病室だけが生活拠点というのは精神的にもつらいことだろうとはだれもが感じているところです。そこで、可能な限り外に出る機会を演出するそうです。農産物や花木の栽培にかかわることやペットとの交流は介護施設などでも行われていることですが、ここで特徴的なのは、病院と地域の人たちとの相互交流が重要なキーワードだという点です。病院の医療を中心にさまざまな形でその地域の産業が活性化するよう考え、実行されておられます。医療には治療だけでなく、予防と重症化予防といった側面からのアプローチがあるとして、医療を基本においたコミュニティーを形成し、多くの人々が共同して支え合うという社会を構築する取り組みをしておられると理解しました。
今回のシンポジウムと公開フォーラムに共通していることは、コミニュ―ティーの創設と人間相互の思いやりです。歯科関係者もさまざまな方々と連携し、かかわっていくことが歯科界の活性化につながること、ひいては充実した豊かな社会の形成につながるということを学びました。これからも、このような気づきや発想の転換に結び付く企画をすることは学会の重要な役割だと思います。よりよい未来に向けて一歩ずつ。
2017年6月5日
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